最近ふと「子どもの頃の将来の夢」について話す機会がありました。
私はイチゴ屋さんになりたかった。
その後もう少し大きくなってからはパティシエと結婚したかった。
そんな話をしたら当然周囲の人には笑われたわけですが、私は何も恥じることはないと今でも思っています。
将来の夢は職業でなくてはならないのか?
そもそも将来の夢とは、職業限定でなくてもよいはずです。
ですが、なぜか小さい頃の夢は?と聞かれて出てくる答えは決まってなりたい職業なのです。
パイロットになりたい、サッカー選手になりたい、銀行で働きたい…
自分の好きなことや親や親戚の職業などを手本に、「将来の夢=職業を答える」という図式がしっかりと出来上がっています。
でも別に「幸せに暮らしたい」とか、「たくさん旅行に行きたい」「有名になる」とかでも良いと思うのです。
小さいうちから職業のことを考えるのは大切ですが、「夢」って聞いてるんだから夢を見させてくれたって…なんて大人げなく思ってしまいました。
最初はイチゴ屋さんになりたかった
これは幼稚園を卒園するときに書いた私の夢。
ちゃんと大人の理想を理解して、職業を書いている自分を褒めてあげたい。
ではなぜピンポイントにイチゴ屋さんだったのか、というと、単純に、イチゴが大好きだったから。
大好きなイチゴを人に届ける仕事ほど、魅力的なものはないと思っていました。
おいしいイチゴを少しでも多くの人が知ってくれれば、みんな幸せになれると思っていたのです。
パティシエと結婚したかった
甘いお菓子、見た目だけでもワクワクするデザート。
そんな人を幸せにするものを作り出す人と結婚したら自分も幸せになれると思っていました。
最初はシェフが良かったけれど、私自身料理も好きなので普段の料理を作れなかったり、美味しくないと思われるのは嫌だったため、大好きなケーキを作れる人がいいという安易な考え。
そう考えると、パティシエなら(料理も上手そうですが)デザートを担当してもらって、自分は普段の料理を作ることも出来るだろうと思ったためです。
ちなみにこれは高校生の時の私の夢。
現在のパートナーには「高校生にもなってそんなこと夢見てたの?」と小馬鹿にされました。いいじゃないか別に。
自分が幸せで人も幸せに出来たら最高
将来の夢を考えた時に、割と小さいころから「働いて社会のために役立つ」「こんな人を助けたい」といったものが根底にあった気がします。
職業=社会貢献。
人の役に立つ、幸せにする、それもとても大事なことだと思います。
でも近年は自分の幸せを忘れてしまう人も多いように感じるのです。
寝ていなくて疲れていて落ち込んでいる人が、人の幸せのために頑張る…それもとても素敵なことです。
ですが、自分が幸せで、目の前の人を幸せに出来るのなら幸せな人が二人になるわけですが、自分が幸せでなくて目の前の人を幸せにしたところで幸せな人は一人。
幸せな人を増やすことがよりよい社会づくりにつながるのであれば、他人だけではなく自分の幸せも考えていくべきなのかな…と漠然と考えていました。
自分の子供の頃の夢には自分を幸せにするヒントがつまっている
いま思うと、「自分はイチゴが好きだから、美味しいイチゴで幸せになる人を増やしたい」という願いが根底にあった幼き自分の夢。
これって社会に出てからも、重要なんじゃないかと思うのです。
例えば「自分はコレが好きで、そのおかげで幸せになれたからそんな人を増やしたい」だとか「この食べ物が好きだからもっといろんな人に味わってほしい」だとか。
ビジネスだって、自分が好きじゃないものを売ったり勧めたりすることは難しいですし、「良い商品だと信じてるから売れる」なんて話も聞きますよね。
ということは、この「自分の好きなことを通して人を幸せにする可能性を作り出す」という発想って悪くないと思うんです。
実現しようと思うと確かに難しいかもしれないし、いわゆる「好きを仕事に」を実行できる人は一握りという現実はありますが、その思いを持ち続けていたらいつかチャンスが巡ってくるかもしれませんよね。
私の幸せの基準は「美味しい食べ物」だった!
そして今回自分の小さい頃の夢を振り返るにあたり、気付いたことが一つ。
自分は食べ物を通して幸せを感じるタイプなのだな、ということ。イチゴ屋さんにパティシエとの結婚…食べ物関連ばかりです(笑)
食い意地が張っていると言われればその通りですが、何か辛いことや苦しいことがあったときは美味しい食べ物で回復できるタイプなんだということを再認識させてもらいました。
どんなものがあれば自分は幸せを感じるのか、知っておくだけでも何かあった時の対策が取りやすいですよね。
自己管理の一つとして、過去の自分を振り返り何が自分を幸せにしてくれるのか、考えてみるのも悪くないのかなーと思います。