ライフ, 日常

3.11東日本大震災を思う

独り言です。

 

東日本大震災。

甚大な被害を及ぼし、多くの尊い命を奪い、家やふるさとを失った人も大勢いました。

いまだに行方不明の家族や友人を探している人もいます。

あれから8年の月日が流れたいま、私の一個人の経験と、継続的支援の大切さについてつらつらとお話させて頂こうと思います。

当日、栃木県でアルバイト中だった

渡仏費用を貯めるべく、アルバイトを掛け持ちしていた当時。

その日は試食販売のアルバイトで栃木県某所のスーパーで働いていました。

朝から頭痛を覚えていて何だか嫌な日だな、と漠然と感じたのを覚えています。

ちょうど休憩をとっている最中、地響きを感じ、すぐに揺れが強くなりました。

休憩室にいたスタッフたちは軽くパニックになっていたため、ドアや窓を開け、外へ誘導しました。

どのタイミングで外へ誘導したのか、ちゃんと揺れが収まってからだったのか、揺れている中で脱出したのかは覚えていません。

もちろん、私以外にも声をかけたり誘導している人がいましたが、パニック状態の人も多数。

私は確かそのまま出ずにスーパーの中へ走り、残っていた人を外に誘導した記憶があります。

一部の人はその場でフリーズしていました。

一旦落ち着きを取り戻したところで、店の人の指示で帰宅してよいと言われましたが、電車で来ていたため動けず暇を持て余していたので店内の片づけ等を手伝いました。

その後、試食販売の派遣会社の社員の方がわざわざ渋滞のなか迎えに来て下さり大変助かったのを覚えています。

数日間、福島出身の友人と引きこもる

災害時は電話も繋がらず、状況を知ることは非常に難しかったです。

ワンセグ携帯を持っていた人からの情報で巨大津波の話を耳にしました。

実家は内陸部なので大丈夫だろう、問題は沿岸にいる友人知人、友人の親御さん…

思考はあっという間に停止し、何も考えないようにしようとしていた自分がいました。

後日津波の状況が明らかになり、周囲の人たちもその被害の甚大さには絶句していました。

それと同時に

「ぶっちゃけこれが関東だったらやばかったよね!人口の少ない地方でまだよかった…」

そんな声も耳にしました。

私はそのとき、心が凍っていくような感覚になったこと、脳みそがフリーズしてしまったこと、はっきりと覚えています。

 

そして原発事故。

ちょうどその時、大学の同級生で同じく栃木にいた友人の実家は避難区域に指定されてしまいました。

福島出身の彼女。ご家族は無事だけれど実家には帰れず避難所。これ以上状況が悪化したら実家に帰ることは無理だろうと容易に想像がつきました。

確か「可能な限り電力の消費を控えましょう」という指示が出ていた時期で、その子と一緒に私のアパートで暖房も付けず、毛布をかぶってニュースにかじりついていました。

当時私に出来ることは何もなく、ひたすら被害が悪化しないように祈り、電力をあまり使わないようにする、そしてその子の隣にちょっとの間だけいる、できたのはそれだけでした。

義両親、義祖母と大阪へ

なんとも奇遇なことに、義両親と義祖母が初めて日本に来ていたのもこの時期。

地震が起こった当時はパートナーの東京の友人宅にお邪魔しており、東京在住の友人たちや恩師が助けて下さったおかげで移動や宿泊場所にも困ることはありませんでした。

ですが原発事故の後、状況を知った義家族は「一刻でも早く関東地方を離れないとまずい…!」

危機感迫る雰囲気で軽くパニックに陥っている様子でした。

私はバイトの休日に東京へ行き、日帰りをするつもりだったのですが、既に大阪行きチケット購入済みでそのまま私も連れていかれる形となりました。

バイトにも無理を承知で休みを取り、急だったにもかかわらず大阪の宿泊先も無事確保できたのはラッキーでした。

そして何事もなかったような状況の大阪。

当たり前のことですが、ものすごくショックでした。

そしてせっかく大阪に来たのだから観光しよう!とレンタカーを借りて観光案内をすることに。

私はとても複雑な気持ちで、今でも出来れば思い出したくないな、と感じる思い出です。

ちなみに、原発事故がわかった直後、パートナーや義家族は在日フランス大使館に連絡しフランスに帰る手段がないかを探るつもりでした。

ですが東京の大使館に連絡しても繋がらず(既に帰国済み?)、領事館にも連絡したがどうにもならなかったと。

増便分は恐らく要人や関係者、著名人などに確保され一般人はスルーだったのだろう、と本人たちは言っていました。

そのため結局は自力で高額な飛行機代を払い帰りのチケットを入手するほかなく、それならば大阪へ行こう、ということに。

栃木に戻りバイトを辞め、実家に戻る

その後、自体が少し落ち着きはじめたため、みんなで栃木に戻ることに。

もともとはパートナーの卒業式のために来日した義家族、式はキャンセルとなってしまいましたが卒業証書を手にしたパートナーを見て満足気。

その後は急ピッチでパートナーのアパートの片づけ、荷造りをし義家族とパートナーは帰国準備へ。

無事にフランスに帰国した義家族にほっとしたのもつかの間、今度は原発事故直後にフランスに帰っていった留学生(この子も自費でチケットを何とか購入し帰国)の寮を片付け荷物を送る作業。

そしてちょうど3月いっぱいで辞める予定だったバイトを早めに辞めさせてもらい、東北自動車道開通を待って実家のある岩手へ引っ越しました。

確か4月にもう一度あった大きな地震の時には実家にいたので、4月頭くらいでしょうか。

ホテル受付で働きながら、休日はボランティアへ

実家に帰ってからはホテルの受付の仕事が見つかり、フルタイムで契約社員として働くように。

内陸部のホテルは連日満室というほどに混雑しており、いわゆる震災特需。

遠方からボランティアに来て下さったり、復興のための工事などを担うお仕事の方などたくさんいらっしゃいました。

ちょうど仕事にも慣れた頃、地元からもボランティアバスが出るという話を聞き、真夏のある暑い日に参加することに。

震災のボランティアと一口にいっても内容はさまざまです。

私が行ったのはアパートの片づけと、側溝の泥掃除でした。

確かアパート2階の2部屋だったと思います。持ち主のいなくなってしまったアパート。

数人でその部屋を片付けていくのです。

写真や通帳などは取っておく、後のものは処分という指示だったと記憶しています。

アパートの壁には泥水の跡、壊れた家具や家財道具、ガラスや陶器の破片、生活が垣間見える空間…

あぁ、ここのご家庭は小学生の女の子が一人いて、家族写真や夫婦の結婚式の写真も大事に飾られていて、教材がたくさんあって…

そこにあった生活を想像してしまったのは私だけではなかったようで、みんな無言で黙々と片付けをしていました。

写真が見つかると歓声があがる。よかったね!写真があったよ!と。

体力的にはその後の側溝掃除の方が大変でした。スコップで水を含んだ泥を書き出し、土嚢に詰めて運ぶ作業。

道路の真ん中には家の屋根がそのままの形で陣取っていましたが、帰る頃には他のボランティアによって片付けられていました。

私はボランティア経験も少ないですが、ほんのちょびっとでも役に立つことができたのだろうか?と自問する日々です。

出来ること、続けられることとは?

いま目の前の出来ることをやる、とても大切なことです。

被災地に足を運んだり、義援金を贈ったり被災地のものを買って応援したり。

ですが時間とは残酷なもので、被害を風化させてしまっているのも事実です。

あれから8年。

いまだに仮設住宅で生活している人がいることをご存知ですか?

行方不明の家族を懸命に探し続けている人がいるということを想像したことはありますか?

私もまだまだ知らないことがいっぱいあります。

まずは知ること、興味を持つことが大切なのではないかと思うのです。

そして復興にはまだ時間がかかる。きっと私たちが想像する以上に多くの方が多くの支援を必要としている。

必ずしも現地に出向いて何かしなければならないという訳ではないのです。

行けないのであれば募金だっていい。出来る範囲の義援金でいい。

毎年行われているYahoo!の3.11企画でもいい。

地震で被害を受けたエリアのもの(東北に限らず北海道や熊本なども)を意識して購入する、ということでもいい。

被災地のことを話題に出すだけだって、いい。

続けられる支援をしていくこと、その続けられる支援をしてくれる人を一人でも増やすこと。

それが積もり積もって大きな支援になると信じること。

一人ひとりができることは限られていますが、あきらめずに一歩踏み出すこと、そして継続していくこと、それが大事なんだと思います。

風化させてはいけない。日常の中にも助けを必要としている人がいるのだから、続けられる支援をしよう、そう強く感じるのです。

 

なんだか偉そうに長々と独り言をほざいてしまいましたね。

被災地で警察官として、記者として働いていた人を知っている身としては、私のような現場をあまり知らない人間が震災について語るのは傲慢だと感じます。

それに私自身無知なことが多く、出来ることも限られています。

でも意外と、こんな体験談や思い出話だって風化を防ぐきっかけになったり、間接的にでも支援につながるかもしれないと感じたので乱文ながら書きました。

不快にさせてしまった人や傷つけてしまった人がいたならば、心から謝ります。

そして、この記事を目にした人が被災地へ思いを馳せてくれることと、被災者が一日も早く平穏な生活を取り戻せることを祈っています。

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