フランス地方都市で契約社員として働いていた時のお話です。
楽しいこと、つらいことがたくさんあり、私を大きく成長させてくれた濃い1年半でした。
まずは仕事が決まったきっかけから見ていきます。
仕事が決まったきっかけ
当時、市役所で臨時職員として短期のアルバイトを繰り返していた私。
市役所受付、某部署の秘書、美術展示の監視兼受付、博物館のスタッフ…さまざまなことを経験させてもらい楽しい反面、不安定な仕事の連続で、依頼もいつも直前で先の予定が全く立たない日々を過ごしていました。
そんな時、パートナーが働いている職場で超短期のスタッフを探しているとの話が出ます。
某ギャラリーでの展示会特別公開(一般公開の前に行われる)で、立食パーティーのためのセッティング&ドリンク係という仕事内容。
市役所でも同様の仕事の経験はたくさんあったため躊躇なく仕事を受け、上司も気に入ってくれた様子でした。
その後2度ほど同様の仕事をさせてもらい、しばらく音沙汰もなくなったころ。
急遽スタッフが転職することとなり、その穴埋めとして私に声がかかりました。
上司がパートナーに私のことを色々と質問していたということを後になって知りましたが、その時パートナーが上手に売り込みしてくれたからこそ得られた仕事だとも思っています。
現地人として働くのが大前提
日本とは全く関係のない仕事で、しかも専門外の仕事も多々。
上司や同僚は私が日本人だということを知っていますが、そんなのはおまけの一つのようなもので、気にも留めず。
外国人だから、という特別扱いは一切ありませんでした。それに関してはメリットもデメリットもありますが、日本と全く関係のない地方自治関連の仕事だったので当然と言えば当然のことでしょう。
私自身も、出来るだけ早く環境に慣れたい、同僚のように働けるようになりたいという一心で日々必死でした。
フランス語会話力は問題がなかったものの、読解と論述に関しては難ありで、レポートを徹夜で仕上げたり土日も書類を作ったりメールを返信したり…
その分、フランスでは日本のように「即座に返信!」という環境でもなかったので、メールを下書き→パートナーに添削してもらう→翌日返信という流れでも問題がなかったのがとても助かりました。
仕事内容は?
一般的な事務業務。例えば電話を受けて担当者につないだり伝言を受けたり、取引先との会議の場合にコーヒーを入れたり。
電話は今日は○○さん、明日は別の人…というように順番に対応するスタイルでした。
たまにある重要な会議や発表の際にはケータリング準備を担当することも。
これらはどのスタッフも行っている業務でした。そして私に与えられたミッションは以下の通り。
地域密着型オンラインショップサイトの運営を通した地域経済活発化支援
前任者から引き継いだ仕事がこちら。前任者はこの業務のみ行っていました。
地域のショップや生産者などが登録するオンラインショップがあり、商品を載せている企業だけではなく自己紹介ページのみ掲載の企業や事業主のサポート業務。
登録料、売り上げなどのサイトの経理的な作業から、サイト制作者との改善点の話し合いなども実施。
またPCが苦手な人のお手伝いから商品掲載の手順の説明、掲載者を増やすためのプロモーション活動も行いました。
この時の取引先は今でも買い物の際におしゃべりしたり仲良くしてくれている方々が多く、街に出ると必ず誰かしらとすれ違います。
地元生産者支援
地元生産者のリストを作成することからスタート。
郡単位でのリスト作成だったのですが、意外にも最新のデータがなく、県や市のデータがあっても不十分だったり情報が古かったり…
ネットで地道に探す、マルシェでの突撃質問、近隣市役所や関連団体にデータ提供依頼などさまざまな方法を使って行いました。
電話での問い合わせとアンケート作成から集計までやるなど、この業務のおかげで地元生産者情報に物凄く詳しくなり、今でも可能な時は生産者から直接食材を購入することを意識しています。
また地産地消を推進するためのイベント企画・実行などもやりました。
中小企業や新規企業立ち上げの資金調達に関する市場調査など
将来性のある中小企業や新規企業立ち上げにもかかわらず資金調達に苦戦する場合が多いという点に着目して、どのように改善すべきかを検討するための市場調査。
市役所や県の新規企業立ち上げ支援の方、オーベルニュ地方の助成金を提供する機関などさまざまな企業先で面談し需要を探る作業です。
新規企業立ち上げの壁や中小企業が資金調達出来ない理由は何か、などなどさまざまな質問をしたり、どのようにこの壁を乗り越えられると考えられるか意見交換したり…。
物凄く大変かつ楽しい仕事でした。
車で1時間半の所まで一人で行って面談して…仕事を始める前の自分を思い出すと、とても考えられないようなことを一人でやれるようになったんだな、と少しびっくりしています。
上記内容に関連して、地域密着型クラウドファンディング立ち上げ(もしくは既存サイトへのページ登録)に関する調査、立ち上げ条件や必要性に関しての調査なども行いました。
このほかにも細々とした、でも興味深い業務なども任せてもらうことがあり、ものすごいストレスとプレッシャーを抱えながらも楽しく働けました。
大変だった仕事内容
電話かけ
地元生産者支援の業務で、生産者リストの情報を最新かつ正確なものにするために電話での問い合わせを行いました。
アンケート調査を行う前段階として、その生産者が今も現役なのか、住所等に間違いはないかの確認です。
ここで問題だったのは、私の働いていた所の名称がやたら長く、あまり知られていないこと。
公的機関なのですが市役所や地方行政を相手にする仕事がメインで、一般の方は耳にする機会が少ないのです。
そのうえ私の名前、めっちゃ外国人。
まー警戒されましたよね。みなさん営業電話なんかもたくさん受けているのですぐに切られそうになることも。
でも想像以上にちゃんと質問に答えてくれる人が多く(というかほとんどみなさんしっかりと回答してくれました)感動レベルでした。
書類作成
仏語ライティングが苦手な私にとっては最初から最後まで苦労したのが書類作成。
面談報告書や活動レポート意外にも現状報告書、企画書…役所関係のためとにかく要求される書類が多い。
面談の度に作る報告書は、RDVが多い週は面談→報告書のエンドレス。他の業務がたまるので報告書は家でやることもしょっちゅうでした。
そして自分のフランス語ライティング力のなさにがっかりさせられる日々…
全てパートナーに添削をしてもらっていたのですが、彼も仕事で疲れてきてさらに私の書類の添削をさせられ疲れ切っていました。
いまでも苦手分野の書類作成ですが、仕事でやらなければならないシーンが多かった分、苦手意識はだいぶ克服されたと感じています。
辞めることになった理由
きっかけは、つわりによる体調不良。
妊娠発覚後は吐いてばかりの毎日で、すぐに休職。
その後少し落ち着いてから復職したタイミングで、ちょうど契約更新の打診がありました。
正直、ものすごく悩みました。
しかし、まだ体調も安定しない時期で不安も大きく、出来れば子育てに専念したいという思いがあったため契約更新をしない決断をしました。
それに子育てと仕事の両立が出来るようにも思えませんでした。平日は夜も家で作業し土日に働くことも少なくなかったので…。
ただ、辞めるにあたって、この仕事ほど同僚や上司に恵まれ、仕事内容も難しいながらも楽しいということは今後まずないだろうと想像できたので、本当に断腸の思いでした。
幸いなことに当時の同僚や上司とは今でも仲が良く、たまにパートナーを迎えに行くついでに挨拶に行ったりもしています。
今更ながら働いていた時のことを振り返ってみましたが、仕事内容、上司、同僚にも恵まれ、貴重な体験が出来た1年半でした。
いつか、このような仕事に巡り合える日はくるのだろうか…と不安になることもありますが、今は目の前の仕事を確実に誠実に遂行することに集中しています。
というのも、現在は個人事業主Auto-entrepreneurオート・アントルプルヌールとして登録し、在宅で時々働いています。
今後の仕事のことに関してはまだ未定ですが、当時の経験と学んだことを忘れないよう、意識して生活していきたいと思います。