フランスへの批判をどこまでブログに書くか問題

フランスへの批判をどこまでブログに書くか問題

星の数ほどあるフランス関係ブログ。

華やかなフランスでの生活を優雅に詩的に綴るものから、現実を生々しく訴えるもの、批判的な視点を中心に展開するもの…

その人の生活している環境や周りの人間の影響を受けていることは確実ですが、時に「それは言い過ぎなんじゃないだろうか」と感じるブログが増えている印象を受けます。

もちろん批判や愚痴りたくなることは誰にだってありますし、それをブログに書くことは法律でも禁止されてなんかいません。でも、時にどうも納得がいかない記事にも出会います。

では逆にどこまでだったら「言い過ぎではない」というラインなのでしょうか。自分なりに考察してみました。

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良いことを書くと自慢ととらえられ、悪いことを書くと「自分で決めた移住なのに」

フランス生活。憧れを抱いて移住し、その理想通りに優雅な、もしくは優雅でないにしろ充実した生活を実現している日本人ブログはやはり海外移住者にとっては心強いものです。

移住を目指す人やフランスで頑張っている人のモチベーションアップにもつながることでしょう。

しかしそのブログを読んでいる人の中には「嫉妬」や「嫌悪感」、「鼻につく」といった感情を抱く人がいるのも現実です。

努力をした結果ですから何も恥じることはないのに、自慢していると思われたくないからポジティブなことはあまり書かないブロガーすらいるほど。

近年はフランス生活イコール輝かしい華やかな生活、というイメージを崩す動きもあって、フランスの不便な点や理不尽な出来事に焦点を当てるブログも増えました。

ところが今度は「自分で移住すると決めたのに今更なんで批判や愚痴ばかり」「わかってて移住したんでしょ?」といった声が届く。

インターネットが普及しあまりにも身近になったことでメリットは山ほどあるのに、残念ながらこういった批判もダイレクトに届きます。

誰にだって批判したくなる出来事はある

確かに、生まれ育った国を離れて異文化の中で生活していくということを自ら希望した人や、家庭の事情でそうせざるを得なかった人もいるでしょう。

異国での生活の大変さは事前になんとなく「わかったつもりで」移住し、実際に直面すると予想以上に大変だった、なんてことも少なくありません。

移住に限らず何か新しいことを始める時は基本そうだと思っています。好きで始めた仕事でも想像以上に「大変だった」、新しい学校に通い始めたけど「馴染めなかった」。

見通しが甘かったという人もいるかもしれません。でも実際に自分がその立場になってみないとわからないことも多々あるもの。

一生懸命努力を重ねてきたけれど、あまりにも理不尽な対応を受けたり凡ミスで手間と時間を取られたり…そりゃ愚痴りたくもなります。

私だって現実では愚痴っぽいタイプだし、友人知人や家族、パートナーにも愚痴ってばっかりのおばちゃんです。

ただし、その愚痴る、批判するということからエスカレートして「こき下ろす」「罵倒する」「暴言を吐く」というところまで至ってしまうのはいかがなものでしょう。

批判がエスカレートし罵倒へ。そして日本崇拝傾向

気持ちはわかります、日本は母国ですからコミュニケーションにおいては問題ないし、丁寧な対応、時間厳守で街もトイレも綺麗。

フランスと比べると日本は素晴らしいところがたくさんあります。でもそれって逆も同じですよね。

確かにフランスで暮らしていて不便と感じることもあるけれども、日本にはない良さだっていっぱいあります。

ところが日常生活ではフランスの不便な点や嫌なことばかりが印象に残り、その積み重ねでイライラが積もって批判がエスカレート。

最終的にはフランスなんて糞みたいな国だ、とこき下ろすまでに至る人もいることに正直驚きました。

そしてそこからの異常なまでの日本崇拝。日本が絶対的に正しいような発言。日本以上に素晴らしい国はないとの考え。

それ自体は決して悪いことではないはずなのに、なぜか日本の良いところがフランスの批判に利用されてしまうことへの虚しさを感じざるを得ません。

フランスのこういうところが不便だー。日本はこういうところが素晴らしいー。

それぐらいの愚痴に留めておけばよいものの、フランス人の思考回路が…とか国民性が…とか、最終的には遺伝子的に…とか。

どこまでけちょんけちょんにするつもりですか、と言いたくなってしまう。そういうあなたは完璧なのですか、と。

ではあなたの目の前のフランス人に同じことを面と向かって言えるのですか、と。

その批判、ブログやSNS以外でも言えますか?

確かに、あまりにも酷い対応をされた時や、罪のない人が被害を被った時についカーッとなって言いすぎてしまうこと、あると思います。

でも実際に罵倒寄りの批判をしている人は「カーッとなって」ではなく、そのスタンスが確立されています。

当然、表現の自由ですからその方々のやり方に私が待ったをかけることなど出来やしません。考え方が違うだけで、私のように不快に思う人もいれば大賛成の人もいるでしょう。

問題提起をするためにわざと厳しめの口調でセンセーショナルに仕上げてある記事等もありますよね。

しかし気になるのは、果たしてその罵倒や批判、ブログやSNS以外でも人に面と向かって言えるのだろうか、と。

インターネットの特性上、相手の顔は見えないですし、どんな罵声を浴びせようがその反応がすぐに返ってくるとは限りません。画面越しの言葉は機械に話しかけているも同然という感覚をお持ちの方もいるようですが、その画面の向こうには生身の人間がいることを忘れてはいけません。

ネット上の書き込みも面と向かって話すのも、どちらもコミュニケーション手段の一つです。あなたが発した言葉を当事者として受け取る人がどこかにいることを一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

結論:目の前のフランス人に話せない批判はブログにも書かない

これは飽くまで私のスタンスです。

目の前のフランス人に向かって言えない批判はブログには書きません。

批判や不平不満を書くときは、いったんパートナーに話して自己消化をしてから(パートナーすまぬ…)記事にしようと思います。

頭に血が上っている時や冷静さを欠いている時には、どうしても言い過ぎてしまったり表現が過剰になることがあるので、それを避けるため。

もちろん、結構厳しい口調で書いていても「余裕で目の前のフランス人に話せるしいままで書いた批判ブログの内容全部言える!」という人もいるでしょう。

でも中には「今まで書いてきたこと、面と向かって当事者に話せと言われたら無理」という人、いると思います。

そもそも人を傷つけたり、センセーショナルなことを書いて炎上を狙いたいとも思わないので(むしろ炎上は避けたい)、言葉遣いやチョイスにも気を遣っていくことも大切だと感じています。

『人の振り見て我が振り直せ』の言葉通り、私自身もブログで自身の意見を発信する立場。批判をする際などは気を付けて記事を書いていきます。